佐藤長期政権終幕の前夜

長い通常国会が終わろうとする6月15日。今国会の重要法案といわれてきた“健保改正法案“と“国鉄改正法案“はいずれも参議院で流産になってしまう見通しが濃くなっていた。しかも執行部は、この法案を今国会で真剣に通そうとする努力をせず、現内閣の手で臨時国会を開いて二法案を審議する、すなわち佐藤内閣を延命しようとする露骨な動きを見せはじめた。朝の国対が終わったあと、浜田幸一(千葉県)、林義郎(山口県)君等の提案で院内十四控室において獅子会が開かれた。私は、今日の代議士会に佐藤首相の出席を要求しようと提案した。いまや党内は佐藤後をめぐって麻の如く乱れている。佐藤首相が引退の意志を明示しないために、党内は疑心暗鬼、不信と混乱がつのり、まさに崩壊の瀬戸ぎわに立っている。このままでは自民党は亡びてしまう。日本の民主主義の危機である。しかし、残念ながら我われの要求はいれられないままに、本会議が開かれることになった。けたたましい本会議の開会ベルが鳴りひびくなかで、私は中曽根総務会長に「17日の両院議員総会に佐藤首相は出席して引退の意志を表明すべきこと」を強く要求した。中曽根会長の返事はあいまいであったが、その顔には、十分我われの要求を受け入れる用意のあることをありありと示していた。さらに金丸信国対委員長が「現内閣で臨時国会を開くことは絶対にない」と断言したので、つね日ごろ金丸氏の人柄に信頼をおく我われは、これを了承して本会議に入ることになった。しかしこれだけでもまだ安心できない。16日深夜、私は同志浜田幸一君、中山正輝君、それに石井一君の4名で竹下官房長官をたずねた。私は「もし明日の両院議員総会で佐藤首相が引退の意志を表明しない場合は、我われ3名が、首相の退陣の要求をする演説をぶつ。我々が立ち上がれば、河野洋平、西岡武夫氏等の若手の先輩がバックアップすることになっているから総会は滅茶苦茶になる。佐藤首相の引退をいさぎよくするためにぜひ内閣の番頭役である官房長官は首相に引退をすすめてもらいたい」とお願いした。竹下官房長官は我われの要望を否定し、「決してそのようなことを行なってはならない」と繰り返し、我われの翻意を求めた。おし問答が午前3時まで続けられたが、なんとなく寂しそうな官房長官の表情を見て、私は明日の佐藤引退を確信することができた。思えば人間の運命とは不可思議なものである。昭和34年、私が郷里に帰って県会議員に立候補しようとしたとき、早稲田の先輩である竹下さんは、ちょうど県会議員から代議士になったばかりであった。大隈会館で竹下さんから県会議員は三期やってはならない。二期つとめたら必ず国会に出てこい、と励まされ、その通りにやってきた私である。昨年の夏、慶応病院に入院中の私のところに来て「コウゾウ、おれも大臣になったぞ。どうだ大臣らしくなったか。お前も10年たてばなれるぞ。早く病気をなおせ」といって励ましてくれた竹下先輩である。私たちは今日、その竹下官房長官に対し、佐藤首相の退陣を要求しているのである。白々と夜の明けようとする首相官邸をあとにしながら、私は寂しそうな官房長官の顔と、政治家が信念をつらぬくためにはさけることのできない厳しくも険しい人の道を思った。しかし夜はほのぼのと明けようとしている。いよいよ今日から、次期総裁をめぐる戦いの火ぶたはぎって落とされるのである。そうなれば当然、田中角栄派の参謀となる竹下さんのもとで我われは同志として戦うことができるのである。どうせ「明日からはいっしょだ」  みずからをなぐさめるようにつぶやきながら、私は九段の宿舎にもどった。いつも靖国神社の境内から聞こえる夜明けをつげる鶏鳴の声が、なぜか今日ばかりは印象的に私の耳に残った。

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